水分神の碑

Go Index Back 北上川水系に戻る 江合川に戻る Last update 2003/10/26


水分神の碑

(裏面)
昭和五年五月一日建立

(左側面)
弐ツ石堰普通水利組合
管理者 白井文一郎
出納取扱者 青木●●助
仝水利組合議員 大沼忠三郎
 仝 大内寅吉
 仝 白井賢悟
 仝 佐藤繁蔵
 仝 藤原平左エ門
 仝 石田庄助
 仝 千葉音右エ門
 仝 岩井長四郎
書記 氏家文治



荒雄川神社
 延喜式神名帳(延喜七年に編集した代表的神社台帳)にのっている玉造三座の一つで、鬼首の荒雄岳上の社を奥宮と称したのに対して里宮と称され、神宮寺も併置されて、この地方の振興の中心となっていた。
 祭神は、須佐雄尊と瀬織津媛尊で、応徳三年(1,086)ころに、源義家が征東の際、戦勝を祈って黄金の剣を奉納したと伝えられている。
 また、嘉応二年(1,170)に、藤原秀衡が鎮守府将軍となった時に、奥州一の宮とし、室町時代には、奥州探題の大崎義隆が大崎五郡の一の宮として、崇敬し、江戸時代に至っては、岩出山伊達家の氏神となった。
 寛保三年(1,743)に幕命によって江合川(荒雄川)沿いの三十六所明神を合祀したので、三十六社様とも称されている。
 岩出山町教育委員会


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