上川原堰 水利久遠碑

Go Index 日本の川へ戻る 鳴瀬川へ戻る 上河原頭首工に戻る Last update 2004/03/14


水利久遠

宮城県知事高橋進太郎篆額
この上川原堰は中新田町古川市三本木町に跨がる壹千四百三拾町歩余の豊饒な耕土を潤しているもので明治四年五月この地に移設したと記されてある当時の鳴瀬川は水量常時豊富にして取水が容易で住民は安んじて耕作が出来たのである以来今日まで百年間この堰を営農の生命線としてその恩恵に浴して来たことを思う時歴代の管理者が幾多災害による補修復旧に対する辛苦と闘いつつ維持管理して来た多年の尽力に改めて感謝の念を深めなければならない以来国では鳴瀬川改修計画により上流に数多くの砂防施設をなし加えて近年産業開発の進展に伴い建設工事資材としての砂礫採取量が特に多くなつた等のために遂年河床低下が顕著となり堰体が次第に弱体し台風の度毎に決潰を繰返しその都度多額の復旧費を投入しても取水量は年毎に減少するという憂慮すべき状態になつた更に又鳴瀬川改修計画によれば本流は今度堰の右端より南に移動することによつて一層取水困難となることが予想されるのでこれが対策として現在の堰堤を南に継ぎ足す補償を請願すると共に堰体を近代式化されたものに根本的改築することが今後に対する賢明な豊作であると考へらえるものの地域農家の負担のみでは到底不可能であるため何としても国の高率な補助に期待せざるを得ないのであるたまたま三十九年秋用水障害をうけその対策に苦慮中のところ折りも茲に河水施設対策が制度化され国が五割五分県が三割の補助で而も県営事業である茲において織田理事長は好機得たりと早速その実現を図るべく直ちに理事会の審議を重ね四十年二月地元県会議員の労を煩わし宮城県知事県議会に四十一年度県営事業として強力に採択方を陳情請願したところ幸仝年三月採択となり県に重要事業として国へ承認方を申請することになつた一方当改良区でも愛知衆議院議員にこの窮状を陳情したところよく地元民の切なる熱意に感動せられ終始献身的な尽力を賜り茲に四十一年一月十五日貳億壱千五百万円の予算にて国の事業決定内示を得たのであるたまたま仝年六月末四号台風による増水のため堰体の大半が決潰し取水が全く不能となつたため直ちに自主的応急仮工事を施し漸く捕水を保つ状態をみた県は速刻国に対し激甚災害指定を申請すると共に県営災害復旧事業に切替え現在堤は鳴瀬川改修工事計画との関連にて旧堰堤より下流約二百米地点に下げ仝年十一月着工新くして四十三年三月壱億九千八拾万円を以て見事完成したのである頭首工の威容誠に雄大にして堅固又壮観茲に潅漑に対する不安が根絶されて営農の基が確立されたことは関係農民のため誠に慶福にたえない又この堰の完成に引続ぎ用水障害対策事業にて志田江壱万壱千七百余米を三面舗装に改修することになり四十二年度着工これが完成の暁にはいよいよ全域の用水が機能的に管理される恩恵を期待し茲に本事業に尽力された方方をはじめ関係各位に感謝の意を表し永く後世に伝えるべく概要を記すものである
 昭和四十三年十二月
  主事 高橋勝介撰
     板垣竜鶴書


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