沖新堀川

Go Index 日本の川へ戻る 鳴瀬川へ戻る Last update 2003/07/10








豊地恵人
南郷町長 齋田徹郎書

県営ほ場整備事業
二郷第一地区
南八丁地区
二郷第二地区
完工記念碑

 本地域は、宮城県北部大崎耕土南端の南郷町に位置し、良質銘柄米「ササニシキ」、「ひとめぼれ」の産地である。かつて、この地域は一級河川鳴瀬・江合両河川の氾濫に依って形成された一大湿地帯であり、先人は藩政時代より干拓と排水との戦いに明け暮れ、渾身の努力をこの大地に注いできた。
 明治後期には、耕地整理事業により十アール区画に整理はされたが、昭和四十年代に入り、稲作の生産性を高めるべく、「ほ場整備」の論議が随所で成され調査計画を実施し事業内容を各地に説明したところ、高度な農業機械化の見通しもなく、又減反政策が始まった時期でもあったことから、ほ場整備推進の一時休止を余儀なくされた。
 その後も「ほ場整備」の火種は消えず、かん拓事業が進捗するにつれその必要性を痛感するに至り、昭和五十四年「南郷地区県営圃場整備事業促進期成同盟会を発足させ、南郷町三千ヘクタール余りの面積を十分割とし、地域毎に推進を図ることになり、その先駆けがこの「二郷第一地区」であった。
 当時としては最初の試みであり、懸念を持つ組合員が多く紆余曲折は経たものの、昭和五十七年二〇〇ヘクタールの採択を受け事業着手することができ、作付初年度には作業効率の大幅な上昇と水管理の合理化が図られ、更に秋の収穫時には大豊作となったことから事業に対する評価が増幅され、以降の事業推進には大いに好影響を与える結果となった。
 昭和六十一年度に入り、高度利用集積ほ場整備事業が創設されると先陣を切り「南八丁地区」四二ヘクタールの採択を受け、画期的な五十アールの大型区画導入を見たもである。この事業導入を決断したことにより以降のほ場整備事業推進に多大な影響を与え、昭和六十二年度の「二郷第二地区」一九五ヘクタール採択時には、大多数の面積を三十アールから五十アールの大型区画へと移行したので、面工事は三ヶ年で終了することができた。
 今後、本地域を我が国の主要な食糧供給基地として位置づけ、二十一世紀に向け農業を職業として選択し魅力とやりがいのあるものに導くため、生産基盤の充実と農業形態の再構築を目指し邁進するものである。
 ここに事業完了にあたり、着工以来の国、県、南郷町の御指導御支援、並びに関係各位の御尽力に感謝し、その功績末永く後世に伝えんと記念碑を建立するものである。

 平成六年一月二十六日
 遠田郡南郷土地改良区 理事長 佐々木毅選文

事業概要

二郷第一地区
 受益面積 200 ha
 総事業費 1,720,800千円
 工期
 着工 昭和57年度
 完工 平成 4年度

南八丁地区  受益面積 42 ha
 総事業費 287,200千円
 工期
 着工 昭和61年度
 完工 平成 4年度

二郷第二地区
 受益面積 195 ha
 総事業費 1,436,200千円
 工期
 着工 昭和62年度
 完工 平成 5年度


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