山田用水記念の碑

Go Index Back 鳴瀬川水系に戻る 吉田川に戻る 南川ダムに戻る Last update 2003/08/30


水神

山田用水記念の碑
 宮床山田の水田を潤おしてきた潅漑用水として古く蛇石地内に「鍛冶屋敷堰」(大堰)が設けられて南川から取水されてきた
 水は堰から約一粁に及ぶ用水堀を通って潜穴水路(墜道)に導かれ深山川に合して更に東に流れ深山堰から山田耕土に潅水されておよそ九十ヘクタールの水田に豊壌をもたらしてきたのである
 農民は父祖伝来の古田を守り早くに「宮床大堰組」を組織し水神を祀り堰守を設けて治水や用水の事業に協力してきた
 作付に当たっては反別割で「木代」(用水設備の維持管理費)を負担し水下人夫として「江払い」(水路の清掃堰の改修等)に出役している 墜道内に沈積したした岩屑や土砂除去には「スドリ」を用いて内部から手送りする方法がとられ毎年多くの労力を費やしてきた
 昭和六十二年南川ダムが竣功した 堰の墜道は湖底に没し昭和六十一年の通水をもって永い取水の歴史を閉じたのである
 宮城県では山田用水供給のためダムの付属施設として近代的な構造を持つ取水設備を施行した
 即ち宮床山田の潅漑用水は以来ダムの温水を利用することとなり豊かな用水の確保が可能になったのである
 南川ダムの建設は宮床山田の稲作史上画期的な事業であり農民一同その恵沢に対し喜び感謝の意を新たにするものである
 昭和六十二年十月吉日
 大和町「宮床大堰組」

(南川ダム鞍部ダム隣接)


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