雄物川水系に戻る Last update 2004/06/13
中世の館「唐松城」
伝説によると平安末期、陸奥の郡之司で
あった阿部貞任の弟、境講師官照がここに
館を築き一帯を支配していたが前九年の役
(康平六年一〇六三年)で源頼義・義家の
攻撃にあい落城したと伝えられる。
また、中世末期この地は、安東・戸沢・
小野寺の勢力があい拮抗し、覇を競うこと
になるが淀川をはさんで秋田寄りの地帯は
安東氏の勢力下にあったと推測されるため
唐松城もある時機に於ては安東氏の最前線
基地であったと考えられる。
そして天正十五年(一五八七年)には、
各勢力がこの地で激突し、世に言う「唐松
野合戦」がおこった。
このような言い伝えや歴史をもとにして
ここに中世の館「唐松城」を建設した。