県営下砂土路地区圃場整備事業竣工記念碑

Go Index 日本の川へ戻る 高瀬川へ戻る 小川原湖に戻る 砂土路川に戻る Last update 2003/10/19


県営下砂土路地区圃場整備事業竣工記念
耕而不倦
青森県知事 北村正哉

下砂土路土地改良区

(裏面)
碑文
 我々の祖先は、当地区に大凶作の翌昭和七年下砂土路耕地整理組合を発足し蛇行していた旧砂土路川とは無関係に新たな川を築造、同時に狭小不正形な田型、曲折した道水路、湿田の改良をはかるため、人力による工事で完了までに四年の歳月を費しました。
築造前は「雨三粒降れば洪水」といわれる程冠水しやすかったことを思うとき祖先の努力に頭の下がる思いです。
 下砂土路土地改良区は、昭和二十四年の土地改良区法制定に伴い、同二十七年創立総会を開き新山、沼崎本村、小川原、向山、菩提寺、虫神の六部落民によって組織されました。
 地域は小川原湖南岸母衣平出生から、砂土路川の上流の両域五・五キロメートルに展開しています。
 昭和三十年代、三本木原開拓建設事業で十和田市に開田がおこなわれからは、砂土路川の水位が従来より高まり洪水の時は、東北本線と菩提寺橋の間は、毎年のように堤防が決壊し甚大な損害を蒙りその都度補修工事、堤防の嵩上げにくろうしました。又小川原湖が増水すると低水田は冠水し施すすべもない状態で今日に及びました。
 小川原湖総合開発計画に伴い昭和四十七年砂土路川が国の一級河川の指定を受け農林省相坂川左岸事業で川の流水断面を大きくしたり護岸をブロックにする等、治水の本格工事が決まり拡巾される用地は当土地改良区が地域減歩方式で買収に応ずることにしました。
 またこれを機会に県営圃場整備事業を施行して農業の近代化、農業生産の拡大を図り得る農業構造に改善すべく、圃場整備の必要気運が急激に高まり昭和五十五年度から県営圃場整備事業として着工となった次第です。
 本事業遂行に当っては耕地の近代的生産基盤の整備を旨とし、持分配分による事前換地方式を取り入れて農地の集団化をはかり、大型機械の導入を可能にし、水田一枚毎に用水路、排水路、道路がつき、更には、用排水を分離して乾田化し田畑の切替えが自由に出来るなどの改善をはかりました。
 又蝦沢、母衣平出生の低湿田は、建設省の補償工事により一定の地上げを行い、流川、津花川河口付近には、増水及び乾田化に備えて建設省の内水排除ポンプと土地改良区の排水ポンプを併設しました。
 この間変貌する社会情勢と幾多の難問に遭遇しつつも関係行政機関等の適切な指導と組合員の一致協力によってこれを克服し七年の歳月を費してここに完成し、農業百年の大系を築いた次第です。
 今我々は、改めて祖先の歩んだ足跡を偲び偉大な不屈の精神を継承しつつ我が郷土と農業を守り確固たる生活基盤の確立を図るべく遂に目的を果しました。
 この輝かしい大事業が当地域繁栄の礎となることを希って茲に竣工記念の碑を建立し、永くこの事績を後世に伝えるものであります。
 昭和六十一年九月吉日
 下砂土路土地改良区 理事長 竹内輿三郎

県営下砂土路地区圃場整備事業
総事業費 三十億七千五百万円
受益面積 二百四十九ヘクタール
受益者数 三百三十二名
工事期間
 昭和五十五年四月着工
 昭和六十一年九月竣工


Go Index 日本の川へ戻る 高瀬川へ戻る 小川原湖に戻る 砂土路川に戻る upページトップへ

kasen.net Copyright (C) 2003-