荒川 旧岩淵水門

Go Index 日本の川へ戻る 荒川水系へ戻る 岩淵水門付近に戻る Last update 2004/02/15




























岩渕水門改造工事
竣工 昭和35年3月
施工 大同機工株式會社

旧岩淵水門概要
旧岩淵水門のあらまし
 昔、荒川の本流は隅田川でした。ところが隅田川は川幅がせまく、堤防も低かったので大雨や台風の洪水を防ぐことができませんでした。このため、明治44年から昭和5年にかけて新しく海までの約22kmの人工の川(放水路)を作り洪水のほとんどをこの放水路(現在の荒川)で流すことにしました。
 この放水路が元の隅田川と分かれる地点に、大正5年から大正13年にかけて作られたのがこの旧岩淵水門で、9mの幅のゲートが5門ついています。その後旧岩淵水門が老朽化したことや、もっと大きな洪水にも対応できるようにと、昭和50年から新しい水門(下流に作った青い水門)の工事が進められ、昭和57年に完成し、旧岩淵水門の役割は新しい水門に引き継がれました。
 長年流域の人々を洪水から守り、地元の人たちに親しまれた「赤水門」(旧岩淵水門)が現在子どもたちの社会見学や、憩いの場として周辺の整備をして残していくことにしています。
 建設省荒川下流工事事務所(3902)−3220
  岩淵出張所〔3901)−4240





荒川と岩淵水門
荒川はその名の通り昔から氾濫を繰り返した川でした。特に明治43年(1910)八月の大洪水の時は、水は岩淵町から志村に沿うところで二丈七尺(約8m)に達したと伝えられています。これを契機に、荒川沿いの町を洪水災害から守るため、政府は荒川放水路造成を計画し、新たな川の開削と水門工事を実施しました。これらは難関を極めて困難でしたが、蒸気掘削機など当時の最新技術を使ったり主任技師はパナマ運河建設に従事して研究するなどの努力により、水門は大正13年(1924)十月に完成しました。この岩淵水門は五つのゲートを持つ水門で、そのゲートの一つは後に常に船が通れるように改修されました。

The Arakawa River & Iwabuchi Sluice Gate
The flood-prone Arakawa River was fainally tamed in 1924 with the completion of the Iwabuchi Sluice Gate and the Arakawa Canal.
This ended the ever-present threat of flooding to the low-lying areas downstream. Construction of the gate and canal required considerable technological expertise, and the chief engineer for the project used his hands-on experience gained while on a visit to the Panama Canal Construction Project as a guide.

岩淵水門扉閉鎖の状況
(部分/安楽川歴史を語る荒川写真集より)


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