日本の川へ戻る 利根川水系へ戻る 利根川河口へ戻る Last update 2003/11/01
海難漁民慰霊塔
内閣総理大臣 岸信介
塔によせて
幾千年 海の幸をまもり伝えるには
多くの同胞の努力と犠牲が繰り返され
た
この丘は この沖のその人達に感謝
を捧げ 安らけき冥福を祈るしるしの
塚である
雨にも風にも 想いは絶えず 新し
い悲しみが加えられることは 更に絶
え難いことである
人の命の尊きは何ものにもかえられ
ぬもの この悲しみを繰り返さぬよう
念じ 有志が相寄り相扶けて 慰霊の
塔が建立された
大らかな慈母なる海に抱かれ 明る
く朗らかに働く人達に幸あれ と
万腔の希いをこめて
昭和三十五年七月二十日
坂本庄三郎
銚子観光案内
千人塚と銚子漁港外港
慶長19年(1614年)10月25日銚子港に大津波が襲来し、折から対岸鹿島灘に出漁中の漁船が風波にほんろうされ、溺死したもの千人以上におよんだという悲しいできごとがあり、この死者を埋葬したのがこの千人塚といわれています。(避難港建設誌より)
銚子の川口が狭く、船の出入りがたいへん困難なところで、日本三大難所の一つに数えられていましたが、第3次〜第4次銚子漁港整備計画により、昭和46年、利根川沿いに運河方式の新航路が完成し、利根川河口付近での遭難事故がなくなりました。外港部も第5次〜第7次計画により整備され、現在は第八次整備計画により名実ともに全国一の総合漁港基地として発展しようとしています。
この先の夫婦ヶ鼻には、わが国最初の無線電信局が開局された地記念碑があります。