横利根閘門

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注意事項
この閘門を通行するときは左記注意事項を厳守してください。
一.通行時間
 6月1日から11月30日まで5時30分〜18時
 12月1日から5月31日まで5時30分〜17時
二.引紐操作について
 警報音のなっているときは操作中ですから引紐を引かないでください。
 信号灯が青になってから出舟してください。
三.非常停止について
 非常時以外は停止の引紐を引かないでください。事故の原因になりますから必ず守って下さい。
四.閘門操作上の連絡先
 090-3238-****
平成七年四月
 建設省利根川下流河川事務所













建第二三八一号
重要文化財指定書
横利根閘門 一構
 閘室(両岸防舷材を含む) 一所
 閘頭部(門扉四枚、ラック棒四本、給排水扉三枚、給排水扉開閉装置一基を含む) 二所
 閘門外●壁 四所
 閘門用地 西代地先の一部
  敷地内の擁壁を含む
右を重要文化財に指定する
 平成十二年五月二十五日
 文部科学大臣 中曽根弘文


建第二三八一号
重要文化財指定書附書
附・利根川治水記功碑 一基
 ・中川吉造胸像所(胸像台座、石段、●●含む) 一所
 ・旧門扉部分 二点
 ・旧給排水扉巻揚機械 二基
  以上

(利根川下流河川事務所内に掲示)


●横利根閘門
 横利根閘門は大正3年(1914)から約7年の大工事の末、大正10年(1921)に完成した我が国最大級の規模を持つ煉瓦造複閘式閘門で、利根川の明治改修事業で唯一現存するシンボル的施設です。
 横利根閘門は利根川が増水したときに、洪水が霞ヶ浦に逆流しないように、また増水時でも船舶の航行が可能なように当時の最新技術を用い日本人技術者のみによって建設されたもので、約80年経った現在でも利用されている現役の閘門です。
 完成以来大きな改築がなかったために施設の老朽化が進んでいましたが、平成6年に省力化のための自動化と門扉等の腐食が進んでいる部分について当時の設計図通りに復元改築されました。
 横利根川閘門の設計および施工の水準は高く、我が国における煉瓦造閘門のひとつの到達点を示す近代化遺産としての価値により平成12年5月、重要文化財に指定されました。

●閘門の通航のしくみ
 横利根閘門は横利根川と利根川の水位変動を閘室部分で調節することで、舟の通航が可能にする閘門(ロック)です。
 閘室部分の水位調節は、閘室と利根川、横利根川両川につながっている給排水管のバルブの開閉によって行われ、閘室の水位は給排水管のバルブが開いた方の水位と同じになります。

建設省関東地方建設局
利根川下流工事事務所
電話 0478(52)6361

●閘門の構造と平成の修復
 横利根閘門は大小8枚の鋼製門扉を備え、閘門の有効長300尺(90.9m)、幅員36尺(10.9m)、閾(閘門の深さ)は平均低水位以下約8.6尺(2.6m)で、当時通航していた船舶の中で最大級であった「通運丸」や「銚子丸」などの大きさを基に設計されました。
 その構造は、前後の閘扉室と中間の閘室との二つに区分されています。
 閘扉室の側壁は垂直とし、コンクリート部煉瓦造で、出隅入隅部、階段、船舶の接触しやすい部分、戸当たり部等に花崗岩を用い凝った意匠となっています。閘室の両側は底部をコンクリートブロック敷き、側壁は1:1勾配のコンクリートブロック積みで船舶の接触に備えた木製の防舷材が組まれています。
 横利根閘門は完成以来大きな改築がなかったために施設のあちこちが痛み、門扉は水面下の部分の腐食(サビ)がひどく、改築の必要が生じていました。また門扉の開閉は人力に頼っていましたが、省力化のために自動化を図る必要が生じていました。このため、平成6年(1994)土木遺産としての価値に配慮し、門扉は取り替えるものの当時の設計図面通りとし、腐食した部分を切り取り新しい鉄板を使ってそっくりそのまま復元しました。鉄板どうしの継ぎ合わせも溶接は使わず、昔通りのリベットを用いて組み立てられました。自動化に当たっては歯車等の機械類はそのまま利用するなどの修復が行われました。

 横利根閘門は大正3年(1914)から約7年の大工事の末、大正10年(1912)に完成し現在も利用されている我が国最大級の規模を持つ煉瓦造複閘式閘門です。
 横利根閘門の設計及び施工の水準は高く、我が国における煉瓦造閘門のひとつの到達点を示す近代化遺産としての価値により平成12年5月に重要文化財に指定されました。

●利根川の改修と横利根閘門の役割
 横利根閘門は、明治33年(1900)4月より始まり、今日の利根川河道を定めた「利根川改修工事」に基づく第2期改修工事の一部として、横利根川の利根川合流口に、利根川出水時の逆流による霞ヶ浦沿岸の氾濫を防止するとともに、高水時といえども舟運に支障をきたさない構造を目的として築造された閘門です。

●利根川舟運の歴史
 江戸時代には、年貢米等の荷物は江戸間で海路によって運搬されていました。しかし、鹿嶋灘や房総沖が荒れて海上運送が危険であったため内陸の河川や湖をつないで通る、より安全なルートが考えられました。特に横利根川は北浦や霞ヶ浦から利根川、江戸川へ通る重要なルートでした。
 横利根閘門は、大正10年の完成後、昭和10年頃までは年間5万隻にもおよぶ船舶の航行がありましたが、その後鉄道やトラックの発達に伴い舟運は衰退しました。最近では、漁船や釣舟、モーターボートなど年間1〜2千隻程度の船舶が利用しています。

対岸の建設機械類展示場にある改築前の門扉の一部

横利根閘門[大門扉上部(改築以前)]
流域を洪水から守り、船の通航を見守った歴史の証人。
−霞ヶ浦への洪水逆流防止と船の通航を可能にした横利根閘門、その歴史と改築事業−
明治・大正の面影を残す数少ない閘門
〜横利根閘門とは〜
 横利根閘門は、明治33年(1900)より始まった利根川改修計画に基づく第2期改修工事の一部として、霞ヶ浦と利根川を結ぶ横利根川合流口に、約7年間の大工事の末、大正10年(1921)に完成しました。
 閘門は、利根川が増水した時に洪水が霞ヶ浦に逆流しないように、また、増水した時でも船の通航が可能なように建設された構造物です。石やレンガを材料に使用している明治・大正時代の構造物の中で、現在でも残って利用されているものは、石井・船頭平・横利根閘門など数少なくなっています。

次世代へ、この文化遺産を引き継ぐために・・・
−こうしてよみがえった横利根閘門−
 大正10年(1921)完成以来70年間にわたり、当時のままだったため、腐食部分の修理や動力の省力化の為の補修が必要になりました。また、近代化遺産としての価値を持った歴史的な施設であることから、できるだけ建設当時の方法で復元することになりました。この改築は、平成6年から約1年間にわたり行われました。この改築は、動力の自動化以外はできるだけ原形復旧を基本として、横利根閘門が次世代に引継ぐべき土木構造物として、この姿が存続されることを願うものです。


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