阿賀野川 沢海床固

Go Index Go River 阿賀野川水系に戻る 大阿賀橋〜阿賀浦橋に戻る Last update 2003/04/13


沢海第一床固



沢海第二床固





阿賀野川床固め公園
横越町

史跡 沢海城跡
 沢海藩は、新発田藩初代溝口秀勝の次男善勝により、慶長十五年(一六一〇)に秀勝からの遺領・上野国(現群馬県)知行分・新田分を合わせて一万四、〇〇〇石で成立した藩である。
 以後、二代土佐守政勝、三代伊予守政良と継がれたが、政良の世嗣正武は早世した。そこで、現滋賀県の水口藩加藤家より政親を養子に迎えたが、藩政は乱れて貞享四年(一六八七)に改易となり、沢海城も廃された。
 藩主の墓石の有無から、一六七〇年代に描かれたと推測される城下町絵図によると、沢海城の本丸に天守閣の姿はない。おそらく陣屋風の館で、規模も大きくはなかったと推察される。その位置は、昔から”御殿”と呼ばれているこの付近と想定され、城跡は幕末の絵図にも記載されている。
 城の築城時期は、横越島絵図に示された政勝の領分や「沢海御在城実録古老語伝記」から、少なくとも寛永十六年(一六三九)以降と推定される。沢海藩の家臣団は、もともと新発田に居住していたが、二代土佐守政勝の時代の沢海城完成とともに沢海へ移住してきた。
 平成十一年三月三十一日
 横越町教育委員会

自然豊かなあがの川 川は友だち
−ここは、沢海床固です−

沢海床固のやくわり
河底のこう配や流れの速さをゆるやかにして河底が深く掘られないようにします。
又、川の流れをせき上げて水道水や農業用水を取りやすくするなど多くの目的のため設置されます。
国土交通省阿賀野川工事事務所
※河川に関する質問、意見等がありましたら、満願寺出張所まで
TEL 0250-22-1132






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