信濃川補修工事竣工記念碑

Go Index 日本の川に戻る 信濃川水系に戻る 大河津分水路に戻る Last update 2003/10/05


(大河津分水可動堰右岸)

(表面)

萬象ニ天意ヲ覺ル者ハ幸ナリ
FELICAJ ESTAS TIUJ, KIUJ VIDAS LA VOLON DE DIO EN NATURO.

信濃川補修工事誌
信濃川改修工事中同川ノ水量調節ノ爲新信濃川ヲ開鑿シ其流頭大河津ノ地ニ堰堤ヲ築キ總長約七二七米内右岸寄一八二米ヲ自在堰左岸寄五四五米ヲ固定堰トセリ本自在堰は實ニ本邦唯一ノ「ベヤトラップ」式堰堤タリシモノニシテ全長一八二米ヲ八個ノ徑間ニ分チ之ニ各「ベヤトラップ」式鋼扉ヲ備ヘ大正十一年八月新水路ニ通水シテ以来自在堰ノ起伏運轉圓滑ニシテ能ク分水工事所期ノ目的ヲ完フスルコトを得タリシカ超エテ昭和二年六月二十四日突如トシテ自在堰「ピーヤ」傾斜陥没の厄ニ遭ヒテ大河津ニ於ケル水量調節ヲ不能ニ陷ラシメタルカ故ニ直チニ自在堰應急工事ニ着手シ更ニ同年十二月工費四百四拾六萬圓の豫算ヲ以テ信濃川補修工事ヲ起工シテ爾來星霜四年激流ニ抗シ寒暑ト戰ヒ具サニ辛酸ヲ嘗メテ遂ニ其ノ竣成ヲ見ルニ至レリ即チ新可動堰ハ型式ヲ「ストーニー」式鋼扉ニ改メテ舊自在堰上流一〇〇米ノ位置ニ之ヲ築キ前車ノ覆轍ニ鑑ミテ基礎工事ニ萬全ヲ期シタルノミタラス河底ノ洗掘ヲ防止センカタメニ舊自在堰基礎ヲ補強改造シテ第一床固トシ更ニ新信濃川流末ノ岩盤ヲ固メテ第二床固を設ケタル外固定堰ニ對シテ充分ノ修理及補足工事ヲ施スヲ以テ本工事トシ別ニ大河津下流中之口川ニ至ル信濃川本川八粁ノ區間ニ附帶低水工事ヲ施行シテ水路ヲ改善シタルモノトス
 昭和六年六月
 内務省新潟土木出張所






(裏面)

人類ノ爲メ國ノ爲メ
POR HOMARO KAJ PATRUJO.

信濃川補修工事概要
可動堰
 頂高(参謀本部陸尉測量部水準基面上)一二米二五、總長一八〇米、徑間数一〇、橋脚幅三米五、水路幅一四米五、基礎幅三五米、同上流締切鋼矢板長一二米、同下流締切鋼矢板長一一米、同混凝土厚二米乃至二米九五、基礎杭長一三米乃至七米、ストーニー式鋼扉幅一六米、高二米九、重量二三瓲、上流方塊張床固幅二〇米、下流混凝土水叩幅一〇米、方塊張同上平均五〇米、工費一、三八二、〇〇〇圓
固定堰
 頂高一二米二五、總長五二二米、總幅六九米、内修理部幅三〇米五、補足部同三八米五、堰體下流端鋼矢板長五米、水叩下流端同上一〇米、隔壁總長二六〇米、幅四米、鋼矢板長六米乃至一二米、頂高一二米五〇、工費五八八、〇〇〇圓
第一床固
 頂高一〇米、總長一八九米、總幅一〇五米、内混凝土部幅五五米、捨石部幅五〇米、工費二七〇、〇〇〇圓
第二床固
 頂高五米、拱式混凝土堰堤、徑間一八〇米、拱天二〇米、堰長一八五米、下流混凝土水叩幅八五米、バッフル、ピーヤ高一米乃至二米、工費三七一、〇〇〇圓
床留
總數四箇所、五千石床留頂高六米九、總長一七六米、大河津床留長高六米三、總長一〇三米、新長床留頂高六米、總頂一七〇米、石港床留頂高五米五、總頂一二〇米、計工費八六、〇〇〇圓

主要工事關係者官氏名
内務技監 市瀬恭次郎
同 中川吉造
内務省新潟土木出張所長内務技師 青山 士
信濃川補修事務所主任内務技師 宮本武之輔
内務技師 大塩政治郎
同 後藤憲一
内務技手 鈴木廣太郎
同 渡邊安三
同 宮島未郎
同 白倉昌男
内務主事 小林一惠
同 内山正五郎
同 生井丈夫
同 黒河内興八
内務属 鈴木源治
内務技手 水野鉉三
同 齋藤美岐雄
同 高橋重治
同 深栖 靖
同 阿部鐵藏





信濃川補修工事竣工記念碑
 この碑は信濃川補修工事の経緯を記したものです。
 大河津分水の分流点には分水側と本川側の両方に、それぞれ堰が設置されています。このうち分水側の可動堰は昭和六年に改築されたものです。
 大河津分水が通水した当時、今の可動堰の下流百メートル地点に同じ働きをする自在堰が設置されていました。ところが、通水から五年後、川底の洗掘によって自在堰が陥没し、壊れてしまいました。そのため、信濃川の全水量が、分水路にどっと流れ込み、下流は逆流して川底は干上がり、折から大量の用水を必要としていた水田は水が取れず、大変な大騒ぎとなりました。また、沿川の上水道も取水ができず、各所で断水し、新潟市では海水が逆流し、市民は塩辛い水を飲まされることになり、まさにパニック状態でした。そこで、一日も早く下流に水を流すための応急工事を実施し、引続き本格的な工事に着手しました。
 この工事は仮の施設により水量調節を行っていたため、一日も早く完成させなければならない状況にあり、担当者は悲壮な覚悟をもって、厳しい冬も、酷暑の夏も昼夜を分かたぬ突貫工事を遂行し、予定どおり四年後、現在の可動堰をはじめ、河口部の第二床固や床留などを完成しました。この苦闘の工事竣工を記念して建立されたのが、この碑です。
 碑は自在堰の堰柱を模して造られたもので、碑の銘文は補修工事を担当した内務省新潟土木出張所長(今の北陸地方建設局長にあたる。)青山士氏が書かれたものです。
「万象に天意を覚る者は幸なり、人類の為め、国の為め」この碑の表と裏の銘版の言葉です。そして同じことが、万国共通語のエスペラント語で書かれてあり、世界の人々にこの言葉を伝えたいという青山氏の気持ちが表されています。
 この碑文の解釈を青山氏にお尋ねしたところ、「それは人それぞれ解釈すればいいよ」と笑っておられたということです。
 皆さんも、この言葉の意味を考えてみてください。

信濃川補修工事年譜
大正十一年 分水通水
昭和 二年 自在堰壊れる
同年 補修工事着手
昭和六年 補修工事完成

信濃川補修工事竣工記念碑
筆者 青山士(内務省新潟土木出張所長)
建碑 昭和六年六月
建立者 内務省新潟土木出張所
大きさ
 高さ四・〇メートル
 幅 四・四メートル
碑石 自在堰堰柱に使われていた石


Go Index 日本の川に戻る 信濃川水系に戻る 大河津分水路に戻る Go Topページトップへ
kasen.net Copyright (C) 2003-