補修工事従業員一同碑

Go Index 日本の川に戻る 信濃川水系に戻る 大河津分水路に戻る Last update 2003/06/25


(大河津分水可動堰右岸)

本工事竣成のため四星霜の久しきに亘りて吾等と吾等の僚友が拂ひし勞苦と犠牲とを永遠に記念せんがために
神武天皇紀元二千五百九十一年六月
信濃川補修工事從業員一同



補修工事従業員一同碑
 この碑は、信濃川補修工事に従事した人達の労苦を、永遠に記念するために、直接現場に働いた人達が相談して建立したものです。
 大河津分水の通水から五年後の昭和二年、現在の可動堰下流百メートルにあった自在堰が川底の洗掘により陥没し、水量調節の機能が失われ、信濃川下流に水が流れなくなりました。それでこの補修工事として、昭和二年から四年間に亘って建設されたのが今の可動堰です。
 当時の工事は、人力が主体で、夏は川原の水が沸くほどの暑さ、冬は、身も凍る寒さのなかで風雨雪に耐えて、昼夜兼行で行われ、毎日数千人に及ぶ人達が従事し、ようやくこの突貫工事が昭和六年に完成しました。
 通水前、陸上作業で造られた自在堰が、五年の歳月を要したことを考えると、川の中で、仮の施設で、水量を調節しながら行われた可動堰の工事が、四年という短期間で完成したことが、いかに驚異的なことであったか想像されます。

補修工事従業員一同碑
筆者 宮本武之輔(信濃川補修工事事務所主任)
建碑 昭和六年
建立者 補修工事従業員一同


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