大河津分水工事殉職之碑

Go Index 日本の川に戻る 信濃川水系に戻る 大河津分水路に戻る Last update 2003/10/05


(大河津分水旧洗堰右岸)

大河津分水工事殉職之碑
従三位勲二等工學博士渡辺六郎書

(裏面)
大正十二年十月二十三日 夕暮の岡に  建立者 田澤実入

殉職者氏名
(略)
大正十二年十月二十三日建

 昭和十一年五月一日 記念公園へ遷座す 財団法人信濃川分水路保勝會

大河津分水工事殉職之碑
 分水工事は、当時、外国から取り寄せた最新鋭の機械を使った工事でした。それでも、一日平均千五百名もの人達が働き、十五年間の工事期間中に、その数は延べ一千万人に達しています。この大工事とその後の維持工事などにより、百名の尊い命が失われました。
 当時の人達は、腰まで水につかる湿田が続く越後平野から、現在の越後平野の姿を想像することができたでしょうか。越後平野発展の礎を築いた分水工事にたずさわり、不幸にして殉職された方々を決して忘れることはできません。
 この碑は、こうした故人の冥福を祈るため、当時、分水工事の起工式が行われた夕暮の岡に建立され、その後、昭和十一年に、この地に移されました。以来、こうした戦陣の偉業をしのんで、桜の花が咲く頃、毎年、慰霊祭が行われています。

大河津分水工事殉職之碑
筆者
渡辺六郎(内務省新潟土木出張所長)
建碑 大正十二年十月
建立者 田沢実入他有志(分水着工運動推進者)


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