大河津閘門之碑

Go Index 日本の川に戻る 信濃川水系に戻る 大河津分水路に戻る Last update 2003/10/05


(大河津分水旧洗堰右岸)

大河津閘門之碑

(裏面)
大河津閘門 旧大河津閘門は 大河津分水事業(信濃川改良工事)の際 下流部の舟運を維持するため 明治四十五年六月着工 大正十四年三月竣工した 其後五十数年の歳月をへて 昭和四十三年十月改築に着手し 工費三億七千五百万円をもって竣工するにあたり 記念のため ここ旧閘門の敷地に施設の一部(水門の擁壁)をそのまま残すものである
 昭和四十六年三月

大河津閘門之碑
 閘門は、水の高さがちがう川から川へ舟を通す施設で、水門が上下流に二門あり、水門の間に舟を入れ、水位を調節して舟を上げたり、下げたりしながら通すものです。
 大河津閘門は、明治の末期に着工された分水工事と一緒に造られたものです。閘門が完成した大正十四年当時は、まだ車が発達していない頃で、新潟から長岡付近までの舟運は重要な交通機関でした。
 その後、車の発達で閘門の利用が減少していましたが、昭和三十八年の三八豪雪の時、鉄道や国道などが不通となり、食料等の輸送は下流からの舟運にたよったため、閘門は大きな役割を果たしました。
 今の閘門は昭和四十六年に閘門全体を改築し、観音開きの扉から、引き上げ式の扉にかえたものです。そこで、昔からよく働いたこの珍しい観音開きの閘門を記念するため、閘門の一部(柱の部分)の花崗岩を使って碑石としたものです。

大河津閘門之碑
筆者 志田 傳(分水町長)
建碑 昭和四十六年
建立者 建設省


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