明治改修着工之地碑

Go Index 日本の川に戻る 木曽川水系へ戻る 木曽川に戻る Last update 2006/11/25


三重県桑名市長島町 木曽川右岸3k0付近

明治改修着工之地
第十七代中部地方建設局長 黒田晃書

 碑
 日本の近代治水工事の先駆けとなった木曽 三川分流工事は、明治二十年(一八八七)こ の地 横満蔵で着工されたのが始まりです。
 世にいう明治改修は、その後の沿川の 洪水被害を大幅に減少させ、今日の沿川の発 展をもたらしました。
 昭和六十二年(一九八七)木曽三川近代治 水百周年にあたり 先人の遺業を偲び顕彰す るとともに、これを記念して碑を建立するも のである。
昭和六十二年十月十四日
建設省
  中部地方建設局

(裏面)
本碑は正面右より木曽川、長良川、揖斐川を表 し、碑巾は各川の流域の大きさを示しています。
石碑は岐阜県恵那郡蛭川村産で、玉石は明治改修 でケレップ水制に使われていたものです。

21世紀へのメッセージ
このタイムカプセルは2,037年にひらかれます。
1,987年10月埋設

木曽川明治改修着工の地
 明治政府は、国の基礎造りのため、明治の初めオランダから技師団を招き、指導を 受けて河川、港湾事業の改修工事を進めました。木曽三川の分流工事(明治改修)は、 この技師団の一人であったヨハネス・デ・レーケにより計画され、明治二十年より明 治四十五年まで二十四年間、四期に別けて実施し、総事業費九百七十四万円(当時) の巨費を費やして完成しました。
明治改修のおもな内容は
@木曽三川を完全分流する。A佐屋川を廃川する。
B立田輪中に木曽川新川を開削する。C長良川の派川、大榑川、中村川、中須川を締切る。
D高須輪中に長良川新川を開削する。E油島洗堰は、完全に締切る。
F船頭平に閘門を設ける。G木曽川・長良川の河口に導流堤を設ける。
H水門川、牧田川、津屋川の揖斐川への合流点を引き下げる。………などでした。
 この大事業は明治二十年(1887)、ここ長島町横満蔵(当時、伊曽島村横満蔵) より着工されたのが始まりです。この記念碑は昭和六十二年(1987)、木曽三川近 代治水百周年にあたりこれを記念して建立されたものである。
    国土交通省

計画堤防高T.P.(7.50m)=計画潮位(4.52m)+計画そ上波高(2.90m)+余裕高(0.08m)


Go Index 日本の川に戻る 木曽川水系へ戻る 木曽川に戻るGo Topページトップへ

メール送信 kasen.net Copyright(C) 2006-