日本の川と災害 > 日本の川 > 木曽川水系 > 宝暦治水 > 平田靱負翁像 Last update 2008/01/26
海津市平田町 平田公園
28 032 713*44
平田靱負翁像
島津修久書
水との闘い
宝暦治水のあらまし
日本の治水事業の中で最大の難工事と言われた
宝暦治水は、幕府が薩摩藩の勢力を衰えさせるた
め命じたものであります。宝暦四年(一七五四年)
一月 総奉行平田靱負をはじめとする九四七名の
藩士を美濃に派遣し始められました。
工事区域は、三川下流全域の一九三ヵ村におよ
び その工事は幾多の悪条件のもと宝暦五年(一
七五五)五月に完了、工事総額は、四十万両とい
う巨額にのぼり、又この工事で多くの藩士が命を
落とす結果となり、平田靱負は全責任を負い割腹
「住みなれし 里も今更 名残にて
立ちぞ わずらふ 美濃の大牧」
という辞世の句を残しました。
薩摩義士の尊い遺業を讃えるとともに歴史的遺
産を後世に伝えるため建立したものです。
平成七年(一九九五)十一月三日
平田靱負翁銅像建設委員会
会長 横山善郎書