長寿院 薩摩義士墓

Go Index 日本の川に戻る 木曽川水系に戻る 宝暦治水に戻る Last update 2006/12/03


桑名市北寺町



秋嶽涼心居士
宝暦四年八月二十日

徳田助右衛門

碧天正雲居士

(永山嘉右衛門、宝暦4年9月3日割腹)

白峰義雲居士

(上田金左衛門、宝暦4年9月3日割腹)

長寿院墓
市指定文化財
桑名藩四代目の藩主松平定行の夫人(薩摩藩主島津家 久の養女)が亡くなった時、実家の宗旨が臨済宗であっ たため、陽向院の宗旨を改め、菩提寺とした。
 定行が伊予松山に国替えとなった後を受けて、五代目 の桑名藩主となった松平定綱は、定行の弟であったので、 寺はそのまま桑名に残った。定綱は夫人の法号「長寿院 殿月窓貞泉大禅定尼」をとって寺名を「長寿院」と改め 嶺室和尚を開山とした。
 墓所扉の紋は松平家の「梅鉢紋」である。
 長寿院にはこの他、松平定綱と沢庵禅師との交友を示 す「沢庵禅師書簡(市指定)」や宝暦治水の犠牲になっ た薩摩義士の墓三基、江戸後期の学者駒井常宿の墓があ る。
平成八年 桑名市教育委員会


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