養老の滝

Go Index 日本の川に戻る 木曽川水系に戻る Last update 2006/04/30


揖斐川右支川津屋川右支川滝谷上流養老の滝
世界測地系 北緯35度16分48秒,東経136度32分3秒



滝百選・名水百選
養老の滝

 養老の滝は、「日本の滝百選」並びに環境庁の「名水百選」に選ばれている名瀑、名水です。また、水がお酒になった親孝行の「養老孝子伝説」など故事来歴のある優れた霊水です。

 奈良時代、元正天皇は「万病を癒す薬の水」との報告を受けられ、美濃の国多度山の美泉に行幸されました。
 史書「続日本紀」に記述されている元正天皇のお言葉があります。
 「自分で手や顔を洗ったら、皮膚はつるつると綺麗になり、痛むところも治った。また、この水を飲み、浴した人は、白髪も黒くなり、はげた髪も新しく生え、見えにくくなった目も明るくなった。目出度いことです。この水は、真に老を養う若返りの水です。」
 元正天皇は、「醴泉は、美泉なり。以て老を養うべし。蓋し見ずの精なればなり。天下に大赦して、霊亀三年を改め、養老元年と為すべし。」と詔なさって、西暦717年に年号を「養老」と改めました。

 名水百選「養老の滝・菊水泉」は、滝から約500m下の養老神社内にあります。今では、滝と泉が上と下に分かれていますが、もともとは滝の瀬として一つの流れでした。
 養老山から流れ出る水は、石灰岩層を浸透してきたもので、炭酸分やミネラルを含み爽やかで甘美な水です。元正天皇がお言葉された「長寿、若返り、健康」の霊水でもあります。

養老美泉辯

田中大秀養老美泉弁碑
この碑は、飛騨高山の国学者、田中大秀翁由縁の養老美泉弁碑です。
文化十一年(一八一四)、大秀が養老美泉録を著し、これを機会に養老の美泉について尾張藩の儒臣、秦鼎と論争を交わすところとなります。
 文化十二年、養老美泉碑を建立しましたが、大秀翁死後、秦鼎の門人たちが養老美泉の版木を焼却し、養老美泉碑をも打ち砕いてしまいました。
 明治三十一年に大秀翁の流れを汲む高山の山崎弓雄等社中の人々が、大秀翁の為にこの碑の再建を図り、殆ど原形に近い養老美泉弁碑を今日に到っています。
田中大秀翁は、安永六年(一七七七)高山市に生れました。後の本居宣長に師事し、宣長の学風を会得しました。



養老の滝孝子物語
 今から千二百年ほど昔 養老山ろくに源丞内という貧しいきこりが年老いた父と住んでいました。
 ある日 源丞内が山奥に入り、薪をとっていると、どこからともなくお酒のにおいがしてきました。不思議に思い、あたりを見回すと、石の間から山吹色の水が流れ、手ですくってなめてみると本当のお酒でした。
 親思いの源丞内が毎日これをひさごに汲んで帰ると、お酒の好きな父は大変よろこびました。
 水がお酒になったのは「親孝行のたまもの」とのうわさは、ときの元正天皇にも伝わりました。そして年号を養老と改められ、水がお酒になったところは「養老の滝」と命名され、源丞内はのちの美濃守となりました。
 昭和五十九年四月吉日


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