堀川堀留跡の碑

Go Index 日本の川に戻る 庄内川水系に戻る 堀川に戻る 石碑の語る治水・利水・災害の歴史に戻る Last update 2006/06/05


名古屋市西区城西

堀川堀留跡の碑(朝日橋左岸)
 堀川は慶長十五年(一六一〇年)城下と熱田の浜を結ぶ輸送路として福島正則によって開削されたと伝えられている。当時は名古屋城近くのこの地で堀留になっていたが、天明四年(一七八四年)に行われた大幸川の付け替え明治十年(一八七七年)の黒川治愿による黒川の開削、さらに昭和初期の改修を経て現在の姿になった。
 朝日橋は天明五年(一七八五年)に初めて架橋され昭和初期まで橋の下には苔むした石積みの落差工があった。その水音から「ザーザー橋」と呼ばれたり、お堀の水の落口近くにあったことから「辰の口橋」、あるいは橋の上を歩いた時の音から「ドンドン橋」とも呼ばれ、人々に親しまれていた。
かつて、巾下御門に通じるこの地には多くの船が行きかい、今の州崎橋付近に至る渡船が始まる萬延元年(一八六〇年)頃には、名古屋の交通の中心でもあった。また、満ちてくる潮にのって、鰹や鰯がこの付近までさかのぼってきたと伝えられている。
昭和五十九年九月
 名古屋市

朝日橋


Go Index 日本の川に戻る 庄内川水系に戻る 堀川に戻る 石碑の語る治水・利水・災害の歴史に戻る upページトップへ

kasen.net Copyright (C) 2003-