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2007/01/28
熱田湊常夜灯
この地は宮(熱田)の神戸の浜
から、桑名までの海上七里の航路
の船つき場である。
常夜灯は寛永二年(一六二五)藩の
家老犬山城主成瀬正房(正虎)が、
父正成の遺命を受けて熱田須賀浦
太子堂(聖徳寺)の隣地に常夜灯
を建立した。その後風害で破損し
たために承応三年(一六五四)に現位
置に移り、神戸町の宝勝院に管理
がゆだねられた。寛政三年(一七九一)
付近の民家からの出火で焼失、同
年、成瀬正典によって再建された
が、その後荒廃していたものを昭
和三十年ほぼ現位置に復元された。
名古屋市教育委員会
Night-light of Nagoya Port
This is the site of the Atsuta terminal of the ferry whitch served
the 7 ri(approcx, 27km) between Atsuta posting station and Kuwana
town on the old Tokaido highway. The night-light was built by NARUSE
Masatora, Chief Retainer of the Owari clan in 1625. The present
light is a replica built in 1955.
時の鐘
延宝4年(1676)尾張藩主光友の命により熱田蔵福寺
に時の鐘が設置された。正確な時刻を知らせるこの鐘
は熱田に住む人びとや東海道を旅する人びとにとって
重要な役割を果たしていた。
昭和20年の戦災で、鐘楼は焼失したが、鐘は損傷も
受けずに今も蔵福寺に残っている。
熱田の古い文化を尊ぶ市民の声が高まり、往時の宮
の宿を想い起こすよすがとして、この公園に建設した
ものである。
昭和58年3月 名古屋市
七里の渡船着場
(尾張名所図絵)
この絵は七里の渡しを描いたもので、道沿いに並ぶ
旅籠屋などの家々や、岸につながれた船、道を行きか
う人の多さから当時のにぎわいがわかります。この渡
し場は城下町名古屋の玄関口としても人と物資の輸送
の面で重要な役割を果たし、そのため尾張藩は東・西
浜御殿のほか、浜鳥居の西に船番所、船会所などの役
所を設け、船の出入りや旅人の姓名などを記録してい
ました。
名古屋市
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