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2007/01/31
尾頭橋から下流を見る
尾頭橋から上流を見る
尾頭橋と佐屋街道
尾頭橋は古くから堀川に架けられていた堀川七橋の一つで佐屋街道
の橋である。
その歴史は堀川開削時までさかのぼる。関ヶ原の合戦があった慶長
5年(1600)頃には、既に熱田から北上し、現在の瓶屋橋北辺りから西
行し、津島(佐屋)に出る「津島街道」があった。慶長15年(1610)堀川が
掘られると、川を渡る「渡船」が必要となり、「亀屋河渡」(瓶屋橋北
辺り」が架けられた。
ばくふによる東海道整備後、「七里の渡し」を利用する旅人がふえる
につれて、寛永11年(1634)頃から東海道の陸路として、「津島道」の
改修が始まった。寛永6年(1666)には脇往還として佐屋街道が完成し
4つの宿場が置かれた。
この時、「亀屋河渡」(瓶屋橋北辺り)から岩塚宿にでるまで、旧街
道から北へ約300メートルの水田の中に新道が開かれ、堀川には新しく
橋が架けられた。これが尾頭橋である。
この辺りの地名を取り「尾頭橋」と名付けられたが、もともと街道
「佐屋街道」にかかる橋のため「新橋」とも呼ばれていた。今もその
なごりがバス停「新橋通」の名で残っている。
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