豊橋

Go Index Back 豊川に戻る 河口〜吉田大橋に戻る Last update 2002/01/27


豊橋

昭和61年3月竣工



豊橋(とよはし)と親柱

 「とよはし」は東海道の淀ノ橋,京橋,矢作橋,瀬田大橋とともに幕府直轄の五大橋といわれた。
 位置は,現在地の下流七十三メートルのところで幅約七・三メートルの木橋で明治十二年五月一日県営工費一万二千余円で竣工した。
 その折の親柱がこの親柱であり,題字は愛知県令となられた国貞廉平氏筆によるもので,風格があり品位もあり,書体は書家が絶賛する出来栄えであります。
 大正五年七月十日現在地に鉄橋により架け換えられた折,親柱だけは移転して使われたのであり,従って百余年間庶民に親しまれた親柱といえます。
 また,ここに設置した鋼材は大正五年に架けられた鋼製トラス橋の一部で昭和六十一年四月に竣工した「とよばし」架け換えの折に解体したものです。

 昭和六十二年六月



豊橋側面図

この豊橋側面図は三径間トラス橋の一径間を描いたものであり,ここに展示された鋼材は○の個所に使用されていたものです。


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