中島川、左門殿川

Go Index Go River 淀川に戻る 神崎川に戻る Last update 2001/05/03


平成7年1月17日 兵庫県南部地震による被災状況




























 碑表の歌は,契沖が「春水」の題で,”春風の吹きて渡れる川の瀬に,雪解の水を泳ぐ白波”と玄冬から新しい生命の甦る春を迎え躍動する喜びを,優しい春風の下きらめく白波に託して詠んだ歌です。
 兵庫県南部地震で破壊された中島川の堤も大改修で,躍動・憩・自然の三つのゾーンを持つ「緑の防潮ライン」として新しく生れ変わりました。
 この大改修の心と完成を,一六四〇年尼崎藩の武家屋敷に生れ,十一歳で今里の妙法寺に出家まで当地に育ち,のと論理的実証法で不朽の名著『万葉代匠記』を著し,”古学の祖”と仰がれた郷土の偉人契沖の歌で祝福して頂き,併せて違忌三百年を記念する契沖顕彰の碑といたします。
碑表の書,碑陰の文 吉原才徳
 平成十二年三月吉日 建立





中島川災害復旧助成事業

被災原因
兵庫県南部地震
発生日時 平成七年一月十七日午前五時四十六分頃
震源 淡路島北部M七.二
震度 尼崎市 震度六
事業概要
施工区間 尼崎市大高洲町〜杭瀬南新町
施工期間 平成七年度〜平成十一年度
事業延長 三千四百九十米
総事業費 二百七十三億円
事業主体 兵庫県
 平成十二年三月吉日建立























中島川 −震災復興の記−
 川はあらゆる生物の命を育み、歴史・文化の発展と市民生活の豊かさに大きく寄与してきた。しかし昭和に入り地盤沈下が過度に進んだ本市は、幾度となく高潮に襲われ,水は市民生活の脅威でもあった。
 昭和29年に完成した閘門式大防潮堤は、市民や事業者を水との闘いから解放し、安全な市民生活を約束した。
 平成7年1月17日午前5時46分、突如襲った兵庫県南部地震は市民の生命線であるこの防潮堤にも甚大な被害を与えた。堤体に大きな亀裂が走り、海水が音をたてて堤内に流れ込んだ。堤防が決壊すれば市域の三分のーが水没という、一刻を争う危機の中、土のうと水中ポンプによる緊急対策に加え、兵庫県の応急仮工事として止水鋼矢板の打設がなされ、当面の深刻な状況は回避された。
 この震災を契機に、兵庫県では防災機能を強化し、親水性にも配慮した新防潮堤の建設に尽力され、国のご支援と多くの自治体職員の応接を得て、中島川新防潮堤の完成をみることができた。
 この偉大なる事業に携わられた関係者の熱意と努力に敬意を表すとともに、この防潮堤が尼崎市民の生命と財産を守り、水に現しめる堤防として末永く愛されることを願い、ここに顕彰する。
 平成12年3月吉日
 尼崎市長 宮田良雄


















































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