琵琶湖疏水 水路閣 インクライン

Go Index Go River 淀川に戻る 琵琶湖疏水に戻る Last update 2001/11/14




南禅寺水路閣

史跡琵琶湖疏水のうち「水路閣」
 疏水事業は,京都府知事北垣国道の発意により.田辺朔郎工学博士を工事担当者として.明治18年に起工され,同23年に竣工した。
 水路閣は,この疏水事業の一環として施工された水路橋で,延長93.17メートル,幅4.06メートル,水路幅2.42メートル,煉瓦造,アーチ構造の優れたデザインを持ち,京都を代表する景観の一つとなっている。
 また,ここから西500メートルにあるインクラインは,高低差のある蹴上の舟だまりと南禅寺の舟だまりを結ぶ傾斜地に上下2本のレールを敷き.艇架台により舟を運ぶ施設で,当時の舟運による交通事情がよくうかがえる。
 いずれも,西欧技術が導入されて間もない当時,日本人のみの手で設計,施工されたもので,土木技術史上.極めて貴重なものであり,昭和58年7月1日に「疏水運河のうち水路閣及びインクライン」として京都市指定史跡に指定された。
 また,平成8年6月には,この水路閣,インクラインに加え,第1疏水の第1・第2・第3隧道の各出入口,第1竪坑,第2竪坑,明治36年に架設された日本初の鉄筋コンクリート橋(日ノ岡第11号橋),同37年架設の山ノ谷橋などが日本を代表する近代化遺産として国の史跡に指定された。
 京都市











蹴上インクライン







琵琶湖疏水記念館



















インクライン用滑車

 この鉄製の滑車は,船受枠(船を乗せる台車)を上下させるためのもので,直径は約3.2mあります。
 船受枠を上下させる方法は,ちょうど井戸つるべやケーブルカーと同じ原理で,ワイヤーロープをこの滑車にかけて,動物園の下にある巻揚機を操作する仕組みになっています。

京都市水道局





史跡 琵琶湖疏水

 明治2年に東京へ都が移り,産業も人口も急激に衰退していく京都にあって,第3代京都府知事北垣国道は,京都に近く水量豊かな琵琶湖に着目し,疏水を開削することにより,琵琶湖と宇治川を結ぶ舟運を開き,同時に水力,灌漑,防火などに利用して京都の産業振興を図ろうとしました。この疏水工事の御用係に選ばれたのが,明治16年工部大学を卒業したばかりの田邊朔郎でした。
 工事は最も難関が予想された第1隧道(トンネル)から取りかかることになり,施工方法についても東西両口からの掘削の他,わが国初の試みとして途中に竪坑方式も採用しています。
 ここのインクライン(傾斜鉄道)はわが国初めての試みで,これによって舟を南禅寺の平地の下ろし,舟溜から鴨川までを鴨東運河で結んでいます。
 明治24年には米国コロラド州アスペンの水力発電所を参考にした日本最初の水力発電所が蹴上に完成し,同年11月に送電を開始しています。インクラインの運転動力もこの電力を利用しています。
 水力発電は新しい産業の振興に絶大な能力を発揮し,京都市発展の一大原動力となりました。
 疏水工事は,明治18年6月に着工して以来,数々の困難を乗り越えて同23年3月に大津から鴨川落合まで完成し,それより以南は明治25年11月に着工し,明治27年9月に完成しました。
 琵琶湖疏水は,当時我が国の重大な工事はすべて外国人技師の設計監督に委ねていた時代にあって,日本人のみによって行った最初の近代的大土木事業であり,明治期における日本の土木技術水準の到達点を示す近代遺産として,平成8年6月にこのインクラインをはじめ12箇所が国の史跡に指定されています。
 この疏水の水は,現在においても水道用水の他,発電,防火,工業など多目的に利用されており,京都市民の生活を支える食うような役割を担っております。



No 名称 地名
第1隧道入口部分 大津市三井寺町筒井
第1竪坑 大津市稲葉台字小関
第2竪坑 大津市藤尾奥町字割石
第1隧道出口部分 大津市藤尾奥町字大谷
第2隧道入口部分 京都市山科区御陵黒岩
第2隧道出口部分 京都市山科区御陵封ジ山町
第3隧道入口部分 京都市山科区御陵封ジ山町
第3隧道出口部分 京都市山科区日ノ岡夷谷町
山ノ谷橋 京都市山科区黒岩町
10 日ノ岡第11号橋(本
邦最初鉄筋混凝土橋)
京都市山科区日ノ岡堤谷町
11 インクライン 京都市左京区粟田口山下町
 〃 南禅寺福地町,草川町
京都市東山区東小物座町
12 水路閣 京都市左京区南禅寺福地町




田辺朔郎博士

No1ゲート












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