南郷洗堰

Go Index Go River 淀川に戻る 宇治川に戻る 瀬田川に戻る Last update 2003/03/23




上流側



下流側





右岸側残存施設

南郷洗堰(旧洗堰)のあらまし
今も尚、この瀬田川の両岸に昔の佇まいを残す「南郷洗堰(旧洗堰)」は明治35年(1902年)に着工され同38年(1905年)に竣工されました。
この南郷洗堰は琵琶湖及び下流・京阪神地域の洪水・渇水時の流量調節を目的とし、構造はレンガ作り、幅12尺(3.6m)の門が32門あり、当時としては画期的なものでした。
また、開閉操作は人力で角材を引き上げたり落としたりする方法で全開には丸一日、全閉には丸2日の時間がかかる大変なものでした。
現在では、下流に見える「瀬田川洗堰(新洗堰)」が昭和36年(1961年)に完成され、開閉操作は電動式となり、南郷洗堰はその役目を瀬田川洗堰へと引き継ぎました。
南郷洗堰は、瀬田川洗堰へ役目を引き継ぐ間の明治、大正、昭和と琵琶湖・淀川を洪水・渇水から守るまさに「琵琶湖・淀川の守り」そのものでした。
対岸に見える「水のめぐみ館・アクア琵琶」では、こうした洗堰の歴史を初め、琵琶湖・淀川に関する治水・利水について様々な角度から紹介しています。是非、お立ち寄りください。

南郷洗堰(旧洗堰) 瀬田川洗堰(新洗堰)
門の数 32門 10門
門の幅 12尺 10.8m
ゲート 8寸角、長さ14尺、木材 上下2段ゲート、鋼材
操作方法 人力 電動、遠隔自動制御
操作時間 全閉48時間、全開24時間 全閉、全開30分
完成した年 明治38年(1905) 昭和36年(1961)
工費 25万2,000円 4億6,500万円


南郷洗堰の古い写真の拡大

南郷洗堰(旧洗堰)の遺構
この遺構は、瀬田川浚渫、大日山の切取りとともに明治時代の瀬田川改修工事の一環として、明治38年に完成した南郷洗堰の一部です。瀬田川の浚渫によって疎通能力が大きくなると、下流では洪水の危険が増し、又渇水時には湖水位が下がってしまいます。
これらを解決するためにこの堰が造られたのです。
堰には幅12尺(3.6m)の門が32あり、この門に長さ14尺(4.2m)、8寸(24cm)角の角材を上げ下げして流量を調節したのです。この操作は当時人力で行われたため、大変な苦労を伴っていました。
昭和36年、電動で遠隔自動制御の新洗堰が完成すると、旧洗堰は約60年にわたる役割りを終えました。

土木學會選奨土木遺産
2002
南郷洗堰

南郷洗堰は、淀川改良工事の一環として築造された明治期最大の32連煉瓦・石造角落洗堰であります。
歴史的土木施設としての高い価値に照らして土木学会選奨土木遺産に認定されました。
 平成14年11月

洗堰看守場

現在は休憩所となっている


南郷洗堰の経緯

明治17年(1884)
滋賀県知事中井弘が渇水時の琵琶湖水位の確保のため洗堰建設を説く
明治35年(1902)
着工
明治38年(1905)
完成
昭和36年(1961)
新洗堰完成




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