日本の川へ戻る 旭川へ戻る Last update 2003/06/07
田土の赤岩
案内板の隣にある岩が「赤岩」です。
かつて旭川には高瀬舟がたくさん行き来していました。高瀬舟が川を下る時は川の流れに乗って行くのですが、川をさかのぼる時は、竿師が竿で突いたり、小舟頭が引綱を肩に掛けて引張りました。
この赤岩にも引綱が掛けられ、長い年月の間に綱が擦れて出来た溝がたくさん残っています。
江戸時代には大切な輸送機関であった高瀬舟も、明治時代になって鉄道が開通したり、道路が整備されるにつれてだんだん少なくなり、昭和九年に台風で旭川の様子が変わってしまったために、ついに無くなりました。
赤岩の上の溝を見る時、高瀬舟やそれをあやつっていた舟頭達の苦労がしのばれます。
御津町文化財保護委員会
御津町教育委員会
葛城橋
葛城橋から上流をみる