石丸久光翁殉職之碑

Go Index 日本の川へ戻る 嘉瀬川水系へ戻る Last update 2005/11/28


渡瀬橋下流左岸
佐賀市蛎久
世界測地系 北緯33度17分44秒,東経130度16分15秒





石丸久光翁殉職之碑
佐賀縣知事鍋島直紹

碑文
翁は資性英邁剛健にして風教の淳化道義確立の爲率先範を垂れ公の爲も私事を省みざる憂国の烈士たり。当村蠣久部落に生を享け幼にして軍人を志し島戰爭日支事変に数々の武勲を樹て正五位勲三等陸軍工兵中佐に任ぜらる。大東亜戰爭終戰後は晴耕雨讀自粛自慎の日を送られしが昭和二十七年講和條約の締結により追放の束縛解くるや推されて村教育委員長の要職につき教育行政に腐心する傍ら有志を糾合して同志会鍋島支部の結成を図り又事務嘱託員として部落民の輿望に對へ郷黨の信望を一身に聚めたり。時恰も昭和二十八年六月二十六日前日来の希有の豪雨により堤防決潰の危險を感ずるや駈せつけし部落民と共に夜を徹し人事を盡せし防護作業の督励指導に当りしが黎明時より狂氣の如き疾風と車軸を流すが如き猛雨の爲急激に増水し午前八時四十分遂に奔流は堤防の天端を洗ひ濁水は地響きと共に其の中腹より噴出決潰するに至れり。作業員一同は危く其の難を逃れたるも翁は鬱然として其の最後を見届くべく現場に踏止まる中不運にも数分後百五十米の下流再び決潰し翁は寸断されし堤防上に取残され加ふるに狂奔せる激流は刻々其の足下を侵し風前の灯を思はせたるも救出の方途全くなし。斯かる絶對絶命の間從容として動ずる事無く靜かに衣を棄て濁流に身を投じ脱出を図られしが怒濤は翁を一呑みし再び其の姿を見出す能わず、六十七才を以て生涯の幕を閉じられたり。此の翁の心境や乙橘姫のそれにも比すべく鬼神慟哭震天動地するを感ず。茲に殉職の地を選び水魔の守護神とし此の碑を建て且つは翁の懿コを永えに表彰し之を後世に傳へんとす。
 昭和二十九年五月二十六日 鍋島村長 池田利夫


Go Index 日本の川へ戻る 嘉瀬川水系へ戻るGo Topページトップへ

メール送信 kasen.net Copyright(C) 2005-