震災いちょう

日本の川と災害 > 日本の災害 > 関東大震災 > 震災いちょう  Last update 2008/12/01


千代田区大手町1丁目 35.68935,139.760044
676287*43

関東大震災史跡位置図







 震災いちょう
 この木は、震災いちょうと呼ばれています。樹齢一五〇年を超えると思
われるこのイチョウは、かつて文部省の跡地である−ツ橋一丁目一帯
(現在のパレスサイドビル・住友商事竹橋ビル・一橋総合ビル一帯)にあ
りました。大正十二年(一九二三)九月の関東大震災によって一面焼け野
原となった都心にあって奇跡的に生き残り、このイチョウは当時の人々に
復興への希望を与えました。その後、復興事業に伴う区画整理によって切り
倒されることになった際・当時の中央気象台長岡田武松氏がこれを惜しみ、
なんとか後世に残したいと思い帝都復興局長官清野長太郎氏に申し入れた
ところ、長官もその意義を理解しこの地に移植されたという由緒をもって
います。

 岡田武松(一八七四〜一九五六)
 千葉県に生まれ、東京大学物理学科卒業後、中央気象台に入り予報課長
をへて明治三七(一九〇四)年、海洋気象台の創設とともに台長となりつ
いで中央気象台長となる。海難防止のため無線送受信設備の完成、海洋気
象観測設備を充実させたことや、測候技術官養成所の設立など研究・行政
両面で活躍した。大正一三年(一九二四)にイギリスの王立気象学会から
サイモン金牌をおくられ、昭和二五年(一九五〇)には文化勲章を受ける。

 清野長太郎(一八六九〜一九二六)
 香川県に生まれ、東京大学法科卒業後、旧内務省警保局にはいり、富山
県理事官・神奈川県理事官をへて内務省事務官となる。明治三六年(一九
〇三)に人口学万国会議の委員としてベルギーへ派遣される。明治三九年(一
九〇六)に秋田県知事、同年南満州鉄道株式会社の理事に抜擢きれ大正二
年(一九一三)までこの職にあった。大正五年以降、兵庫県知事・神奈川
県知事を歴任して帝都復興局長官となる。

   平成十三年三月 建替
                   千代田区教育委員会


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