伊勢湾台風殉難者慰霊之碑

日本の川と災害 > 日本の災害 > 伊勢湾台風 > 伊勢湾台風殉難者慰霊之碑  Last update 2008/07/09


名古屋市南区浜田町浜田南公園

伊勢湾台風殉難者慰霊之碑
昭和三十四年九月二十六日
名古屋市長小林橘川書

(裏面)
 碑文
激しい風と雨、胸までつかる水、その中で進退きわまった人々の悲しく叫びつづける声が、闇の 空にむなしくかき消されてゆくばかりでした。碑の正面に見える路上で五百を越える人の群が、 必死に勵し頑張り、祈りつづけたのですが、無情の高潮は遂に貳百八拾に近い人命を一時に呑 んでしまったのです。水が退いてこの附近一帯からひろい上げられた遺品の雨靴が、道路わきに 山と積まれ又人々の新しい涙を誘うのでした。そこはいつのまにかくつ塚と呼ばれ道行く人々 までが花と線香と静かな祈りを捧げるところとなりました。その深い悲しみの場所に市当局と 全宝学区民の総意と努力により、更に又学区外の多くの人々の協力も得てこの碑が建立されました。
今この碑の中に全学区の殉難者参百七柱の遺骨を安置してひたすら諸霊の冥福を祈ります。
 昭和三十五年四月二十六日
  殉難者氏名
 (略)



通名くつ塚
昭和三十四年九月二十六日 伊勢湾台風の大水害の時 十数日後に水が引くとこ の処に死者とくつが流れ ついていた
この大水害により宝学区だけ で三百八名の多くの殉難者 が出たのである
市当局と遺族によりその霊 をまつり冥福を祈ると共に 慰めのために小供公園が 作られた それを称して くつ塚と呼ばれる

最高浸水位2.50M

伊勢湾台風
 伊勢湾台風は、昭和34年9月26日午後6時過ぎに紀伊半島南端に上陸し、 直径700キロに及ぶ地域を暴風雨に巻き込みながら、名古屋の西方30キ ロの地点を通過し、26日夜半富山湾へ抜けました。
 その中心気圧は、上陸時930ヘクトパスカル、名古屋市内においては 最低気圧958.5ヘクトパスカル、瞬間最大風速は、午後9時25分に 45.7メートルという驚異的な数値を記録しました。
 またこの台風は、名古屋市西方をかすめるという名古屋地方にとって 最悪のコースをたどったため、伊勢湾沿岸一帯にかつてない高潮が生じ、 満潮時に近い午後9時35分、名古屋港における最高潮位は5.31メートルと、 海岸堤防を50センチも上回る名古屋港検潮始まって以来の記録となりま した。
 そのうえ前日から降り続いた雨は、台風の中心が近づくにつれ、時間 雨量40〜60ミリの豪雨となり、河川は刻々と増水し、それらが強風に あおられ、低気圧に吸い上げられた高潮と重なって、一時に海岸堤防及 び河口付近の河川堤防を寸断、市南部地区一帯を濁流の渦に巻き込みま した。特に名古屋港周辺の貯木場からあふれ出た28万立方メートルに及 ぶ無数の巨木が、人命、家屋の被害を更に大きくしました。
 このため、名古屋市と当時の守山市及び有松・大高の両町を含む死者 が1,881人と言語に絶する惨害をもたらし、当南区内においても実に 1,417名に及ぶ尊い人命が失われました。
 この浸水位標識は、伊勢湾台風の惨禍を永く記録にとどめるため、被 災30年に当たり設置したものです。
 なお、この標識の浸水位は、被災当時の当学区内の最大水深(神松地区) を本標識の足下からの高さに置き換えて表示したものです。




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