Last update 2004/02/16
明治11年(1878)〜昭和38年(1963) 1903年東京大学土木工学科を卒業し渡米、ニューヨークの鉄道会社で短期間測量に従事したのち、1904年からパナマ運河の測量設計に携わり1911年帰国 内務技師となり荒川放水路工事、事故続出で難航した信濃川大河津分水路工事を担当 第23代土木学会会長 土木学会図書館に青山が寄贈した「日本の水害」中表紙 青山のサインがある p105の書き込み ◎万象に天意を覚るものは幸なり
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