後藤寿庵に戻る Last update 2003/11/26
壽菴之墓
(宮城県登米郡東和町米川西上沢)
(裏面)
DON JUAN GOTO
1565-1626
後藤寿庵の碑
寿庵は伊達政宗の家臣で、熱心なカトリック信者であった。見分村(現水沢)の福原に、一二〇〇石の領主として召しかかえられ、数々の開拓の功績があった。元和九年のキリシタン弾圧で、南部にのがれてから三五〇年間消息不明であったが、昭和二六年三月宮城県史編纂委員によって碑が発見されて、当時、建てられた無名の碑が残っている。昭和二九年にこの碑がたてられた。