安政4年(1857)6月4日〜昭和4年(1929)4月13日
安政4年陸中国胆沢郡塩釜村(岩手県水沢市)に生まれる
大正5年10月寺内内閣に内務大臣となる
大正9年東京市長となる
大正12年9月1日関東大震災の翌日成立した山本権兵衛内閣内務大臣となり、9月29日帝都復興院総裁を兼任する
東京市長の時、いわゆる8億円計画を東京市参事会に提出、大風呂敷といわれたが、震災後の帝都復興計画の基礎となった
帝都復興計画では30億円という予算を要求したが、大蔵省による削減、議会の反対により5億円強になったため、後藤新平の構想は実現しなかったが、現在の内堀通り、靖国通り、昭和通りなどはこのとき決められたもので東京の骨格を形成した
震災後、後藤は
・遷都すべからず
・復興費は30億円を要すべし
・欧米最新の都市計画を採用して、我国に相応しい新都を造営せざるべからず
・新都市計画実施の為めには、地主に対し断固たる態度を取らざるべからず
とメモしたと伝えられている
虎ノ門事件(大正12年12月27日)により内閣総辞職となり、後藤新平は翌13年1月7日内務大臣兼帝都復興院総裁を免じられたため在任期間はわずかであったが、震災復興への影響は大きかった
人のお世話にならぬよう
人のお世話をするよう
そしてむくいをもとめぬよう
後藤新平自治三訓
水沢市立後藤新平記念館
023-0053 水沢市大手町4丁目1番地
tel:0197-25-7870
9:00-16:30 月曜、12/29-1/3休館
一般 200円、小中高生無料