石井省一郎


天保12年(1841)12月28日〜昭和5年(1930)10月20日
父碕田勝助、母文子の長男として豊前国片野村(現北九州市)に生まれる
母方の石井家を継ぎ小倉藩藩士として藩校思水館に学ぶ
明治2年5月民部官書記
明治2年7月一揆鎮定のため信濃国に使わされる
明治3年周防国の襲撃事件鎮定にあたる
明治3年9月民部省庶務佑
明治3年11月土木権正 内務省土木局長
明治17年(1884)2月26日〜明治24年(1891) 岩手県令
明治24年4月〜明治25年11月茨城県知事
明治30年貴族院議員
昭和5年10月20日89歳で没す 勲一等瑞宝章を賜る

土木局長在任中に野蒜築港工事の一環として北上川から野蒜港に至る運河が開削され、その起点に設置された閘門は、当時の宮城県令松平正直によって石井閘門と名付けられている
盛岡市清水町にある私邸(遠山病院所有)は盛岡市指定保存建造物となっている
盛岡駅からすぐの北上川に架かる開運橋は、明治23年の盛岡駅開業にあわせ石井省一郎が私費で建設したものである。(現在の橋は昭和28年に架けられた2代目)