わらじ村長鎌田三之助生誕の地

Go Index Back 鎌田三之助に戻る Last update 2004/03/28


わらじ村長鎌田三之助生誕の地
(鹿島台町木間塚)

鎌田三之助
”わらじ村長”と呼ばれた鎌田三之助は,品井沼排水事業に生涯を捧げた玄光を祖父とし,その遺志を継いだ三治の次男として文久三年竹谷に生まれた。
 明治十一年,十五歳の春,自由民権思想に共鳴して上京明治法律学校に学んだ。
 同十六年帰郷し,三十一歳で県会議員に選ばれ,三十九歳で衆議院議員に当選し二期国政に参与した。
 海外発展を唱えて命じ三十九年メキシコに渡ったが,二年後亀井宮城県知事から「シナイヌマモンダイフンジョウ キカノアッセンヲマツ」の帰朝要請をうけ帰国,反対者を説得し同四十三年明治潜穴の通水式を挙げるに至った。
 また,明治四十二年三月,推されて鹿島台村長に就任,以来十期三十八年間,報酬も旅費も断り,粗末な衣服を身につけ,腰に握り飯をさげ,わらじばきで奔走し,品井沼干拓事業を頂点とする郷土の振興に精根を傾けた。
 昭和二年に紫綬褒章を受章,同二十二年公職追放で村長を辞任,同二十五年五月三日八十七歳で逝去された。
 鎌田翁の生家はこの地に木造瓦葺平屋建(一三七平方メートル)があったが,昭和六十一年県道拡張工事のため撤去された。
 平成十一年三月二十七日
 鹿島台町教育委員会


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