川村孫兵衛重吉

Go Index Back 北上川に戻る Last update 2003/08/19


かわむらまごべえしげよし

天正3年(1575)〜慶安元年(1648)

孫兵衛の行った主要事業


川村孫兵衛重吉之像
石巻市旧北上川左岸日和山(ひよりやま)公園

川村孫兵衛重吉

 天正三年(一五七五)長州(山口県)に生まれる。毛利家に仕え、二十代前半、伊達政宗の家臣となる。
治山治水に優れた技術を発揮、政宗の命令で北上川改修工事の責任者となる。工事は元和二年(一六一六年)から寛永三年(一六二六年)に至り、工事費ねん出のため自ら借財、あるいは工事現場に泊まり込むなど、筆舌に尽くせぬ労苦を重ねる。
 この大改修により石巻から盛岡に至る舟運が開かれ、葛西家滅亡後寒村に過ぎなかった石巻は一躍米の集散地となる。河口周辺には仙台、盛岡、一関、八戸各藩の米倉が立ち並び、江戸へ米を運ぶ千石船が往来繁栄を極めた。治水に伴って流域では三十二万石余の新田開発も行われ、地域の発展に計り知れない恩恵をもたらす。
 工事完成後は石巻に住み、慶安元年(一六四八年)、七十四歳で世を去る。
 河北新報社は石巻市制施行五十周年に当たり、港町石巻の基礎を築いた大恩人としての業績を後世に伝えるためここに川村孫兵衛重吉の銅像を建立、石巻市民に寄贈する。

 昭和五十八年(一九八三年)八月一日
 河北新報社
 銅像題字 一力一夫 河北新報社社主・会長
 銅像制作 翁 観二


重吉神社石巻市門脇字新舘

重吉神社祭 平成14年8月2日

重吉神社由来の記
 重吉神社はその昔川村家家中の家臣達が重吉翁の墓前に祠を建て重吉翁の御霊をお祭りしていたが昭和七年現在地に移し建てられた社である。此の地は川村孫兵衛翁の屋敷の一角で、昔は弓の的場や馬の調練馬場跡であったと言う。御神体の川村孫兵衛翁は慶長の初め(一五九六年)伊達政宗公と主従の約を結び、家眷三人と仙台領に来て七十四歳で此の地で没するまで広く土木の神と祠られる程数々の河川土木工事の業績を県内の各所に遺し、特に北上川河口付替工事の大偉業がが天聴に達し大正四年、大正天皇より正五位の御贈位を賜った。
 当地は通称「釜」という地名で呼ばれるのは、重吉翁在世中定川の河口近くに塩田を作り、大釜を据えて塩を造った事に由来する。重吉翁は北上川付替工事完成の恩賞に伊達藩主より野谷地を貰い、それを開墾して一族家臣に分ち与えた。重吉には三人の娘があり「夫々」長女婿の加藤喜衛門三男孫兵衛元吉には(六百二十八石)、二女婿の日野長門二男、膳太夫資吉には(四百二十三石)、三女婿の横山甚蔵二男伊兵衛重成には(三百七十石)、を分ち与えた新館、中屋敷、浦屋敷、明神、等の地名は川村家ゆかりの地名である。
 平成三年八月
 川村孫兵衛翁ゆかりの施設等環境整備協賛会


川村孫兵衛翁の墓 石巻市門脇字新舘

川村孫兵衛翁墓前供養祭 平成14年8月2日

川村孫兵衛重吉夫妻の墓碑
 この墓所はその昔川村孫兵衛家代々の墓所として十四代までの川村家累代の墓地である。
 初代川村孫兵衛重吉は、天正三年正月(一五七六年)長州阿武郡に生れ、慶長の初年(一五九六年)伊達政宗公に仕え、宮城郡に一時居を定めたが北上川河口付替工事のため当地に来て墳墓の地を此所に定め、政宗公、忠宗公の二世に仕え慶安元年(一六四八年)十月廿七日、七十四才で当地で没した、墓碑の法名は普徹聖公居士、妙徹禅定尼。と墓石に刻まれているが後年普誓寺普徹聖公居士、龍観院心源妙徹大姉。と追号された。
 普誓寺の開山は承應二年(一六五四年)で川村家二代目孫兵衛元吉が義父重吉の遺言で重吉の居宅を旧寺跡に移して建てられた菩提寺である。川村孫兵衛重吉は幼名を万五郎と言い珠算、和算の天賦にすぐれ、初めは毛利輝元に仕えたが、慶長五年関が原の合戦後近江の国、蒲生の地で天文、採鉱、土木等に長じた重吉の天分を政宗公の知るところとなり主従の約を結んで仙台へ来たのが重吉二十五、六歳の頃と言われる。その時、任国への土産にと明石の黒松の種三駄を持参し海岸に防潮の林としたり亘理、鳥の海間の運河を手始めに仙台六郷の堰、冠川の疏通、孫兵衛堀若林城外濠、品井沼の潜穴、江戸四ッ谷上水、等の土木工事を手にがけ、特に元和九年(一六二三年)に着手した北上川河口付替工事は孫兵衛重吉の心血を注いだ畢生の、大事業であった。
 追波湾を河口としていた北上川を、江合川、迫川の二川を桃生郡神取の地で北上本流に合わせ鹿の又より石巻まで河道を掘り稲井真野川と共に石巻湾に流れを変えて石巻港を実現させたのが寛永三年(一六二七年)の事であった。孫兵衛夫妻の背後にある樒の古木は重吉翁埋葬のおりの記念樹である。
 平成三年八月
 川村孫兵衛翁ゆかりの施設等環境整備協賛会

注1)孫兵衛の最初の領地は名取郡早股村(現岩沼市玉浦)
注2)孫兵衛が政宗に仕えたのは文禄年間にさかのぼるとの説あり
注3)品井沼の潜穴の工事は元禄六年から文久元年(1693-1861)で孫兵衛の死後


縄張神社 石巻市千石町

川村孫兵衛重吉が測量したときに使った縄を奉納したと伝えられる

縄張神社祭 平成14年8月2日


川村孫兵衛翁報恩供養祭 平成14年8月2日
住吉神社境内


川開き祭典 平成15年8月2日
住吉公園内川村孫兵衛紀功碑


川村孫兵衛翁報恩祭 平成15年8月2日
日和山重吉像前


参考文献


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