川村孫兵衛元吉

Go Index Back Last update 2004/02/28


元吉墓

元禄五壬申天
第二世 川村 孫兵衛元吉 孝子
加藤氏族世継川村●●元吉実●信根●道●●●真密●
為光岳照心賢居士●也
八月十四日 行舟六十九歳


※石巻市門脇 川村孫兵衛の墓の奥
 北緯38度25分15秒 東経141度16分12秒



川村孫兵衛元吉顕彰碑
 江戸時代前期伊達二代藩主忠宗公は、先代政
宗公が推進した領地の改造・整備事業を継承し
積極的に実施した。特に、新田開発に努め領民
生活の向上と失業武士の救済に力を注いだ。忠
宗公鷹狩りの場であった伊豆野原開発のため、
古内主膳重広と川村孫兵衛元吉(十八歳の頃)
を奉行に任じ、幕府から多額の借財をした。元
吉が工事奉行として伊豆野堰開削工事に着手し
たのは、寛永十九年(一六四二)で、伝聞によ
ればヨーロッパ土木技術を用い、流水に勢いを
つけるため、三滝を造るなど苦心し、正保三年
(一六四六)の春完成した。栗原郡一迫町清水
ヶ袋で迫川の清流をせき止め、全長五里十一町
(二十一粁)の水路である。この伊豆野堰によ
って、志波姫町外三町の地域に潅漑水田二千百
三十二町歩(ヘクタール)が拓け、豊饒な美田
と近世農村集落が形成されるに至った。以来三
百五十年この恩沢により、特に志波姫町は良質
米の主産地として発展した。
 ここに先哲川村孫兵衛元吉を讃え、これを永
く顕彰する。
 平成四年(一九九二)六月二十五日
     志波姫町長     鈴木源次郎


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