日本の川に戻る 鹿児島県内の川に戻る Last update 2006/06/05
橋 名 | 橋長 m | 連 | 幅員 m | 架設年 | 建設費 両 | 備 考 |
玉江橋 | 50.7 | 4 | 4.0 | 嘉永2年(1849) | 1,560 | |
新上橋 | 46.8 | 4 | 4.8 | 弘化2年(1845) | 2,415 | 流失 |
西田橋 | 49.5 | 4 | 6.2 | 弘化3年(1846) | 7,127 | |
高麗橋 | 54.9 | 4 | 5.4 | 弘化4年(1847) | 2,800 | |
武之橋 | 71.0 | 5 | 5.5 | 嘉永元年(1848) | 2,400 | 流失 |
鹿児島県立石橋記念館
鹿児島市浜町1-3
tel:099-248-6661
ishi-master@seika-spc.co.jp
9:00-17:00(7月、8月は19:00まで)
毎週月曜日(月曜が休日の場合はその翌日)、年末年始 (12月31日〜1月2日)休館
入館無料
石橋記念公園総合案内図
鹿児島市の中心を流れる甲突川には、かつて玉江橋、新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋という5つの大きなアーチ石橋が架かり、「甲突川の五石橋」として県民に親しまれてきました。
この五石橋は、江戸時代末期に城下整備の一環として架けられたもので、薩摩藩の財政改革の成功と肥後(熊本県)から招かれた名石工岩永三五郎によって架橋が実現した歴史的所産です。
しかしながら、平成5年(1993)8月6日、市街地の約1万2千戸が浸水するなど大きな被害をもたらした集中豪雨による洪水で、五石橋のうち武之橋と新上橋が流失してしまいました。そこで残った3橋は、貴重な文化遺産として後世まで確実に残すため、河川改修に合わせて移設して保存することになりました。
移設地に選ばれた稲荷川河口周辺は、岩永三五郎が最初に架けた多連アーチの石橋・永安橋が近くにあったことから、三五郎とゆかりが深く、また、この河口両岸の土地はいずれも古い理立地で、五石橋と同時代頃の遺跡をもつ土地でもあります。
移設工事は、県が西田橋を、鹿児島市が高麗橋と玉江橋を行い、文化財や土木工学等の専門家の指導、助言を得ながら、平成6年から同11年にかけて石橋の調査解体、複元と慎重に進め、五石橋の歴史や技術等を伝える記念館も併設するなどして、石橋3橋が一体となった公園として同12年に開園しました。
今後、この公園が鹿児島の歴史を知る場の一つとして広く県民に親しまれ、石橋の末長い保存活用に役立つことを願っています。